※この記事は「具体的なネタバレ」は含みませんが、読むと「あ、こういう感じの結末なのかな…」と、少しだけ展開をにおわせるような部分があります。どうなるのかを絶対に知りたくない方は、本編を見てから、ぜひまた読みに来てくださいね。※
今回の記事は、猫井のFacebook投稿用に英語で書かれたものを、あとから日本語に直したものです。
(私はFacebookは、英語の国/英語でコミュニケーションをとりやすい国の人たちに向けて、英語で使用しています)
なので、普段のブログではあまり書かないような書き方だったり、ちょっとぎこちない部分があると思いますが、そのあたりは深く考えずにお読みいただければ幸いです。
映画『ゴジラ-1.0』は、私のベスト・ゴジラになりました。
いきなりですが、私たち日本人って、第二次世界大戦にめっちゃくちゃに負けたじゃないですか。
私が生まれた頃には、もう戦後もいいところで、けっこう経済も巻き返して、念願のV字回復!ってところだったのですが、
小学、中学、高校と、いわゆる「戦後教育」というのをザブザブ浴びて育った世代、ど真ん中。
といっても過言ではない世代として育って、やがて大人になりました。
戦後教育って、何だったのかというと、たくさんの先人の、声をあげることもなく亡くなっていった人々の犠牲を、もう2度とそんな犠牲を出しちゃいけない。と子供たちに強く思わせる教育です。(反戦教育ともいいます)
それはもちろん大事なことで、学んだことは私のなかで変質することは決してないんだけど、
簡単な言葉で表すならば、
「落ち着いて、優しくなって、もう2度と西側諸国と戦うことなんか考えないで、幸せに、愛らしい日本でいようね」
という教育だったと思う。
命の大切さとともに、哀しさと、それから最初から最後まで、後悔の念と。
牙も鋭い爪も持たずに育つことが、正しいことだと。
そう教えられて育ったのだと思う。
だから私は、「戦争 / 戦後」というキーワードに対して「悲しい・マイナス・ネガティブ」なイメージを持っている。
自衛隊のありかた。予算のバランス。対外交渉の飴と鞭の難しさ。人前で語ることへの苦手感。
平和を武器で護るという矛盾が、あまりにも強く否定されてきたのです。
「特攻」はそれらネガティブなイメージの頂点に位置するキーワードに他なりませんでした。
特攻にまつわる物語はすべて、繰り返し繰り返し語られる「世にも恐しい、決して敢行してはいけない事」として語られ、私の心に、はっきりと明確なわけではないが、だからこそ消えない大きな傷として残りました。
(注:もちろん、語りつがれることを否定することではありません。)
『ゴジラ-1.0』。この映画はそれら、目に見えない漫然とした私の心の傷を、痛快でダイナミックな英雄たちによる活躍で見事に癒やしてくれました。
『シン・ゴジラ』が、私達日本人社会の複雑さと滑稽さ、それから非常事態を乗り越えていくたくましさを戯画のように描き出したとするならば、
『ゴジラ-1.0』は、たった2時間半の刺激的な寓話で、私の中に何十年もずっと溜まっていたネガティブな「戦後に対する、形容しがたい負の感情」を吹き飛ばしてくれました。
そして、この作品はまた、単なるゴジラ映画としても十分に楽しめることが素晴らしい。
「このゴジラは観た?」そう言って、西洋の仲間と話りあえること…
それってステキな事でしょ?
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